ヨーロッパ家具の宝庫を、舶来マートでハッケン。
ーー今日は、よろしくお願いします。綿長物産という会社名を見たときに、布団なんかを想像したんですが、入ってみるとびっくり。輸入雑貨と家具が並んでいて。
うちは、父がこの界隈で布団屋を営んでいたんですよ。それこそ[OMMビル]で店をやっていたり。[船場センタービル]へうちが入ったのは、父が区分所有エリアの物件を購入したことがきっかけで。船場センタービルの中でも布団屋をはじめたんですが、割とすぐに店を畳んで、婦人服販売の会社に物件を貸したんですよね。その店が辞めはるタイミングが、僕が大学を卒業する頃。で、ここで何か商売させてくれへんか?と、頼んだことから輸入品販売をスタートしました。
ーー綿製品や布団とは違う、輸入品となると全く違う畑。どうして輸入雑貨をやろうと思われたんですか?
当時、僕は島之内に住んでいたんですが、家の目の前に輸入雑貨の卸売を行う会社があって、ガレージセールなんかに足を運んでいて。こんなに面白い商品がいっぱいあるんだなって感銘を受けたんですよね。自分で何かするなら輸入雑貨を扱いたいなって。
ーーなるほど。
通っていくうちに、その会社の方とも親しくなっていって。ここの商品を直接卸して販売するお店を出すことになったんですよ。それが、5号館の[リビングファッションスコット]。当時は完全にそこから卸した商品を扱っていたんですが、当時は景気がよかったので、イタリアをはじめとするヨーロッパ圏まで仕入れの裾野を広げたんですよね。
ーー当時扱っていた商品はどんな品が多かったんですか?
木のモビールだったり、人形だったり、ブリキで作られた品が好きで。そういったアイテムを中心に仕入れていました。5号館の店はこの店と比べると、スペースも狭いので小物類が中心でしたね。
ーーこちらのお店は、家具や什器だったり大型の品が多い印象です。
スペースが広くなったことで、扱える品が増えたことはもちろんなんですが、やはり一番の変化は仕入れ先が変わったことですかね。現在は、中国からの仕入れがメインなんですが、中国からの輸入はヨーロッパと違ってコンテナ単位での仕入れになるんですよ。例えばそれが小物を仕入れる場合になると1000個単位で仕入れなければならない。1000個を売り切るっていうのは至難の技ですよね。だから、仕入れる品のサイズを大きくしたんですよ。
ーーなるほど……!景気の悪化もある中で、大型の店舗を構えるのはリスクだとも思うんです。舶来マートにお店を構えた経緯もお聞かせいただければ……と。
舶来マートの中で商売をしている仲間の中に小学生の頃からの幼馴染がいるんです。で、その子から「舶来マートへ来たほうがいい」って熱心に誘われて。船場センタービル自体もすごく盛り上がっているという状態ではなかった時代だったので、悩んだんですがそこまで言うなら……と、借りてみることにしたんですよ。