オープン当初から、船場センタービルに入居した服地の老舗。
ーー今日は、よろしくお願いします。[山冨商店]さんは船場センタービルのオープン当初から、入居されていたとお聞きしました。
そうなんですよ。うちは創業が1964年で、先代である義父が、久太郎町のあたりにお店を構えていたんです。その場所が船場センタービルの建設地となったことがキッカケで、優先的にビルに入居できて。
ーーなるほど。
僕自身も、もとは京都の老舗の漬物屋で働いていたので、当時のことが詳しくわかるわけではないんですが、新しい商業施設ということもあって、かなり活気があったと思います。
ーー[山冨商店]さんを継がれたときはどうでしたか?
僕が[山冨商店]に来たのがおよそ40年くらい前なんですが、その当時もかなり景気がよかったことを覚えていますよ。それこそ、船場センタービルの中で、8号館・4号館・5号館……と、3つ場所で商売をしていて。バブル期には「7億で店を譲ってくれ!」なんて人が来たりもしました。
ーー現在も、3つの場所で商売を?
義父が2013年に亡くなったんですが、そのタイミングで一ヶ所だけになったんです。
創業時から続く、服地の卸売専門店。スタッフは創業時から店に立つ[山冨商店]の生き字引。
ーーちなみに、ここは4号館ですが、この場所は新たに借りられたんですか……?
もとは、僕の代で店じまいしようと考えていたんです。正直な話、売り上げも少なく、スタッフも僕と経理の方しかいない状態で。そんなタイミングで息子がウチで働くことになって。若いアイデアのおかげで、経営状態もかなり回復して。新たな事業のために新たな事務所を借りたんです。
ーーなるほど。
息子は、関東で営業の仕事をしていたので、昔ながらの卸売とか小売とは無縁だったんです。だからこそ、商品の売り方にたくさん疑問を持ったんですよね。
ーー息子さんはどういう店に疑問を?
なんというか、何もかもが不透明だと感じて。僕らの仕事は仕入れて売ることでも、値札もなければ、売る対象次第で値段も変わる。「いわゆる、この人は付き合いが長いから」とか「この人は一見さんだから」とか。商売人らしくて良いという人もいますが、それでは全然顧客に対して平等じゃないなぁと。
お店では、カタログを見ながらのオーダーも可能。
ーーたしかに。
そんな疑問を抱えて悶々としているときに、フラッと来店されたお客さんがいて、カタログを眺めたあとに、30万円くらいの生地を買ってくださったんです。ただ、その方は北海道在住でお店へなかなか来られない状態で。「その時にECサイトを作ろう」って思ったんです。