音楽で挫折の先にあった写真。船場は写真家にとって最高の街。
ーー「UNKNOWN ASIA 2018」の受賞を機に、海外での展示などにも積極的に参加されてますよね。そもそも、写真との出合いは?
小さい頃から人並みには触れていたとは思うんです。それこそ、写るんですとか、デジカメとか。ただそれよりも音楽に熱中していたんですよね。中学2年の時に始めたアルトサックに夢中で。結局、大学2年の終わりまでは音楽漬けの日々でした。今でも音楽は好きなのですが、才能がある人なら一つの練習で10レベルが上がるとします。でも、私の場合は一つの練習で1レベル上がるのがやっとで。プレイヤーとして限界を感じたんですよね。
ーーで、燃え尽きた先に出会ったのが写真だった……と。
就活のスタート時期でもあったので一度は普通に働くことも考えたんですが、エントリーシートを書く以前で挫折して。そもそも社会の入り口にも立てないのか……と、頭を抱えました。そこで、デスクワークよりも作品作りが向いてるのかもしれないって思ったんですよね。で、何を作ろうか考えている時に写真と出会ったんです。街中や雑誌、インターネット……どこを見ても写真が溢れていて。これは仕事にできるんじゃないのかって。
ーーなるほど。
とはいえ、写真が好きでも、知識や技術はゼロ。「週に1回7ヶ月通うだけでフォトグラファーになれる」という触れ込みの専門学校に通い出して。大学も専門学校も無事に卒業して、スタジオで働き始めたころに船場に住み始めたんです。
ーー生まれ育った京都からの上京。大阪市内というのはわかるのですが、どうして船場を?
まず、船場ってどこへ行くにもアクセスが至便ですよね。さらに、周囲には広告代理店や制作会社、出版社……と、クリエイティブな会社も多い。ミナミへもキタへも行きやすくて、商業的な拠点として申し分ないんですよ。
ーー確かに。
それに、周囲に住んでいるクリエイターさんが多くて、いい意味で刺激的。船場センタービルみたいな何でも揃う複合施設があり、少し歩けば靭公園で自然にも触れられる。私にとっては、作品作りをする上でインスピレーションが湧きやすい環境だったんです。結局そのまま居着いちゃって、上京してからずっと船場に。
ーー写真家として作品を作り出したのはいつ頃ですか?
上京前の実家に住んでいた頃ですね。「『御苗場』っていう写真コンペがあるから出してみたら?」と、知人に勧められて出展してみることにしたんです。作品としては一作目だったんですが、レビュワー賞を2ついただけて。
1作目the end of THE BEGINNING, is the beginning of THE END.より
ーーこの受賞を機に、アートと商業二足のわらじを履き始めるわけですね。
時を同じくして、フォトグラファーの西岡潔さんと出会ったです。西岡さんはアートと商業の両方に取り組んでいるフォトグラファーで「両方やっていいんだ」と。だったら、私もそうなりたいって。
ーー商業とアートの線引きはどのようにしていますか?
それこそ、商業写真にはクライアントがいるので、そのゴール目掛けてシャッターを切るわけですよね。だから、自分が純粋に作りたいと思う作品とは乖離していて。それこそ、「UNKNOWN ASIA 2018」のグランプリ受賞後からは「作品っぽく撮ってほしい」というようなオーダーも増えてきて嬉しい気持ちではあるんですが、あくまで商業とアートは別物ですね。
3作目のSIGNS FOR [ ]では「UNKNOWN ASIA 2018」のグランプリを受賞。