知
広

センタービルの長老が揃い踏み! レッツ・船場セーション。vol.1

2019.09.30

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

レッツ・船場セーション。

船場センタービル50年の歴史を紐解くべく集まってもらったのは、この地で店を営む10人の長老。さまざまジャンルのお店を切り盛りする彼らに、船場センタービルの歴史と魅力を余すことなく語っていただきました。

1970年大阪万博に合わせて、オープンを迎えた最先端の高架下モール。

1970年大阪万博に合わせて、オープンを迎えた最先端の高架下モール。

ーー今日は、よろしくお願いします。「ディープな船場をディグろう編集部」発足にあたり、やはり皆さんのお話を聞きたいなぁと、思いまして。

こうやって、若い人がこの場に来てくれる機会は少ないですから。僕らも嬉しいですよ。船場センタービルが竣工したのは1970年のこと。大阪万博に合わせて中央線と堺筋線が完成した翌年になります。今でこそ当たり前になっていますが、高架下のショッピングモールっていうのはあまりなくて、船場センタービルは最先端というべき施設だったんです。(池永)

ーー完成した当時の船場センタービルはどのような状態だったんですか?

久太郎町だったり、丼池だったり商店街がまだまだ元気だった時代でした。それゆえに、船場センタービルのように高架下で商売をするっていうのが、まず考えられなかった。僕の会社は当時、別の場所に居を構えていましたしね。時代の流れっていうんですかね。船場センタービルは店舗間はもちろん、駅からのアクセスも至便。瞬く間に人気街道を駆け上がっていって。それに比例して、周囲の商店街の元気は無くなっていきましたね。(池永)

船場センタービル建設前の周辺。当時は歩くスキマがない程に賑わっていた。

船場センタービル建設前の周辺。当時は歩くスキマがない程に賑わっていた。

ーー現在は、飲食・繊維・雑貨と包括したジャンルが揃っていますが、当時はどのような、お店が入居されていたんでしょうか?

船場センタービルへは、中央大通りの建設に合わせて立ち退きの対象となったエリアで商売していた方が優先的に入居する権利を持っていたんですよ。当時そのエリアは繊維業を生業にしている会社が多くて。それゆえに、繊維系が多かったのを覚えていますね。(有田)

センタービル完成前の周辺地図。繊維の商売で栄えていた「唐物町南部、北久太郎町北部、農人橋詰町北部、両替町南部、農人橋北部」の5つのエリアが中央大通りの下にあった。

センタービル完成前の周辺地図。繊維の商売で栄えていた「唐物町南部、北久太郎町北部、農人橋詰町北部、両替町南部、農人橋北部」の5つのエリアが中央大通りの下にあった。

ボウリングに喫茶店。界隈のデートスポットだった時代も。

ボウリングに喫茶店。界隈のデートスポットだった時代も。

ーーちなみに、この中で船場センタービルのオープンから入居されていた方はいらっしゃいますか?

うちは、50年前からですね。船場センタービルに、人が集まる一番の理由になったのは、クーラーが効いてて涼しかったからちゃうかな(笑)。商店街でお店をやっていると、夏は暑いし冬は寒い。1キロ近い道をウロウロするんやったら、尚更それが辛い。どうせ、歩くなら過ごしやすい道がええでしょ。(中西)

ーーたしかに(笑)。

それに当時は、ボーリング場が船場センタービルの中にあったりして、遊び場としても有益やった。だから若い人も出入りし始めてどんどん活気が出てきて。最盛期は、入居時の何倍にも坪単価が上がって、すごかったんやで。(中西)

ーー船場センタービルにボウリング場があったとは……。

僕は当時子供だったんですが、当時は遊び場としても優秀だったんですよ。ボウリング場はもちろんですが、喫茶店なんかも多いでしょ。船場センタービルを歩いていると、高校生が喫茶店でデートしていたりとか。そういうシーンをよく見ましたね。(佐藤)

こちらは現在の船場センタービル。当時と店は変われど、飲食店街は現在も大盛況だ。

こちらは現在の船場センタービル。当時と店は変われど、飲食店街は現在も大盛況だ。

ーーなるほど。

今も、少なからず居るんですが、文化祭や体育祭なんかで衣装を作るための布を買いに来る学生とか、服飾系の専門学生もよく出入りしていて。有名なブランドで使われた生地を卸している業者さんも多いので、それを探しにくる人なんかも居ました。(日野上)

ーーまさに、若者がディグりに来ていたと。

そうですね。卸売のお店も多いですから、素人お断りといって購入できない店もあるんですけどね。そういうところで、粘って交渉をする専門学生さんも多かった。簡単に情報が手に入って、簡単にモノを手に入れられる時代だからこそ、そういう体験を楽しんでもらうためにも若者に訪れてもらいたいんですよね。(濱本)

地下街には、連日満席の飲食店が数多。

2015年に外壁改修を行い、モダンな装いへと一新。

2015年に外壁改修を行い、モダンな装いへと一新。

ーー船場センタービルに足を運んでいると、地下の飲食街は賑やかな印象があって。

2号館〜3号館の地下飲食街は賑やかかもしれませんね。2号館には、老舗の一芳亭もありますし、若い子がオープンした今っぽい居酒屋もあって。賑やかな感じですよ。値段もかなりリーズナブルなので、若い子にドンドン来てもらいたい。(塩田)

ーー確かに、飲食は繊維や雑貨と比べて、入り口の敷居が低いですもんね。

ビール一杯100円とか、料理5品とビールのセットで1000円とか……。学生のアルバイト代でも飲めるようなお店も多いし、どこも美味しい。やっぱり入り口としては飲み屋が最適ですね。(寺村)

ーー皆さんも良く行かれるんですか?

僕らも、良く行きますよ。それこそこうやって集まった時とか会合がある日は。今日も、船場センタービルで飲む予定です。……それじゃあここらで、僕らは飲みに出ますわ。編集長の力で船場センタービルを盛り上げてください!たのんます〜!(源)

ーー楽しんでください!今日はありがとうございました!

船場センタービルの店主さん

中央大通り・堺筋線&中央線の開通に合わせてオープンし、最盛期にはボウリング場もある若者ホットスポットだった船場センタービル。現在はブームが去ったと侮るなかれ、約1キロ続く高架下に800軒ものお店が軒を連ね、中でも地下飲屋街はどこも満席状態で繁盛っぷりは、まだまだ健在。船場センタービルへ足を運んだことのないそこのアナタ!一度訪れてみない手はないですゾ。

取材・文・写真:ロマン

記事一覧に戻る

PAGE TOP