1970年大阪万博に合わせて、オープンを迎えた最先端の高架下モール。
ーー今日は、よろしくお願いします。「ディープな船場をディグろう編集部」発足にあたり、やはり皆さんのお話を聞きたいなぁと、思いまして。
こうやって、若い人がこの場に来てくれる機会は少ないですから。僕らも嬉しいですよ。船場センタービルが竣工したのは1970年のこと。大阪万博に合わせて中央線と堺筋線が完成した翌年になります。今でこそ当たり前になっていますが、高架下のショッピングモールっていうのはあまりなくて、船場センタービルは最先端というべき施設だったんです。(池永)
ーー完成した当時の船場センタービルはどのような状態だったんですか?
久太郎町だったり、丼池だったり商店街がまだまだ元気だった時代でした。それゆえに、船場センタービルのように高架下で商売をするっていうのが、まず考えられなかった。僕の会社は当時、別の場所に居を構えていましたしね。時代の流れっていうんですかね。船場センタービルは店舗間はもちろん、駅からのアクセスも至便。瞬く間に人気街道を駆け上がっていって。それに比例して、周囲の商店街の元気は無くなっていきましたね。(池永)
船場センタービル建設前の周辺。当時は歩くスキマがない程に賑わっていた。
ーー現在は、飲食・繊維・雑貨と包括したジャンルが揃っていますが、当時はどのような、お店が入居されていたんでしょうか?
船場センタービルへは、中央大通りの建設に合わせて立ち退きの対象となったエリアで商売していた方が優先的に入居する権利を持っていたんですよ。当時そのエリアは繊維業を生業にしている会社が多くて。それゆえに、繊維系が多かったのを覚えていますね。(有田)
センタービル完成前の周辺地図。繊維の商売で栄えていた「唐物町南部、北久太郎町北部、農人橋詰町北部、両替町南部、農人橋北部」の5つのエリアが中央大通りの下にあった。